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「天国と地獄」のような寓話は素直に理解する

思いやりをテーマにした「天国と地獄」という「寓話」をご紹介します。


まず「寓話」について、wikipediaで調べてみました。


寓話(ぐうわ)とは、比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって諭すことを意図した物語。

名指しされることのない、つまりは名無しの登場者は、動物、静物、自然現象など様々だが、必ず擬人化されている。

主人公が、もしくは主人公と敵対者が、ある結果をひき起こしたり、ある出来事に遭遇する始末を表現する本筋は、なぞなぞと同様な文学的構造を持ち、面白く、不可解な印象を与えることによって読者の興味をひき、解釈の方向を道徳的な訓話に向ける特性を持つ。

民話によく見られるように、物語の語り末には、寓意的な解釈を付け加えることが習慣的に行われてきた。

(wikipediaより)


つまり、教訓をわかりやすく物語にしたものですね。



「天国と地獄」


ある人が天国と地獄を見にいきました。 天国と地獄のどちらでも、テープルにごちそうが並んでいました。

このとき、なぜ地獄でもごちそうが出されているのか不思議に思いました。


不思議な事はもう一つありました。 驚いたことに、長さ3メートルもある箸を使って食事をしているのです。

天国ではみんな幸せそうですが、地獄ではみんなイライラしているように見えました。

なぜ天国でも地獄でも同じ食事が出されているのでしょうか?
なぜ天国と地獄で、人々の様子が違うのでしょうか?

よく観察しているとその答えがわかりました。


天国では、おいしそうにごちそうを食べているのですが、地獄では誰も食べることができないでいるのです。


地獄では、長い箸を使って自分が食べようとするので、誰もごちそうを食べることができません。
天国では、お互いに食べさせ合っているので、誰もがごちそうを食べることができているのです。



天国に行ける人は、思いやりがあり、地獄に行ってしまった人は自己中心的ということだと思います。 教訓としては、思いやりを持ちましょうということでしょう。

しかし、もう少し深く読むと、というか意地悪く解釈すると、 天国では依存しあっていますので、相手がいないと何もできない依存症であり、地獄ではなんとか自分で解決しようとして自立しているともとれてしまいます。


以前記事にしたように、「うさぎとカメ」の話も様々な教訓が読み取れます。

「うさぎとカメ」から学ぶ 3つの教訓 過信、フォーカス、フィールド



このような寓話は、あれこれ考えるのも楽しいのですが、素直に理解して読み解くのが良いのではないでしょうか。

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