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「かもしれない」という気持ちを常に持つ

世の中何があるかわかりません。絶対こうだった、絶対こうなるという事はほとんどないのです。


朝家を出るときは、電気や床暖などを消して戸締まりをして外出します。私の家では子どもが最後なので、TVを消して床暖を消すのは、子どもの役目になります。

夕方帰ってみると、なぜか部屋が温かいのです。そう、床暖が入れっぱなしでした。子どもに確認してみると、「絶対消した」の一点張りです。あげくの果てに「誰かが入って床暖をつけたんだよ」という始末。

子どもは、「もしかして、消し忘れたかもしれない」、「もしかして、消したけど何かのはずみでつけてしまったのかもしれない」とは、決して思わないのです。


「自分のせいかもしれない」と思う事は、子どもにとっては、なかなか難しいですが、「かもしれない」と思うことはとても大切です。

これからたくさんの人と潤滑にコミュニケーションを取っていかなければなりません。我を通してばかりでは成り立たないのです。



コミュニケーションがとれなくなるだけでなく、命に関わることもあります。

横断歩道を渡る時、「信号が青だから、車は絶対に止まらないといけない」「青なので横断歩道を渡れるのがあたりまえ」「車より人が優先だから」と思って、左右も見ずに渡ってしまってもよいでしょうか?

いいえ、暴走車や信号無視の車や左折の車が来るかもしれません。理屈は正しいことなのですが、事故にあわないように、「車がくるかもしれない」と、自分で確認する必要があります。


想定外のことが起こるかもしれない。自分のせいだったかもしれない。という考えをその場でできることは、争いを避けたり思いやりを持てたり、安全を確保することに役立つのです。



「かもしれない」と思えるやさしい気持ちを、常に心の片隅においておきましょう。

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