2004年 10月23日 17時56分に、
マグニチュード6.8、震源の深さ13km、最大震度7
の「新潟中越地震」が起きました。
私は、新潟中越地震の貴重な体験談を
お聞きする機会をいただきました。
元山古志村村長 衆議院議員 長島忠美さん
のご講演でした。
一言で、感想を述べますと、
「実際の被災者のお話はすごい!」
でした。
テレビやラジオ、インターネットで、
なんとなく人ごとのように見てしまい、歯がゆい自分がいました。
しかし、お話をお聞きして、
当事者感というか、空気感というか、
生々しい現実や、人々の復興への気持ちを強く感じました。
ボランティアをしたことがある方はよくわかると思います。
目標、目的を明確にする
気持ちを一つにし、
目標、目的を明確にすることが大事です。
当初、5年で帰るということでしたが、
2年で帰るという目標を持ち、実行した結果、
震災後、3年で全域避難指示解除され、
山古志村に帰れたそうです。
子どもを無視してはいけない
初め、被災した子どもたちに対して、
子どものためを思って、被害状況を伝えませんでした。
しかし、子どもは不安になり、希望を失っていきました。
そこで、
子どもたちも、被災者の一員としてきちんと扱うことにしました。
子どもたちに対しても、全ての被害状況を共有しました。
子どもたちは、希望を抱き、希望を捨てずに頑張れたそうです。
コミュニティ
災害によるメリットもありました。
仮設住宅の仮住まいにより、
子どもや夫婦で真剣に向き合えることができたそうです。
いつもは、こら、うるさい、とどなっていましたが、
壁一枚挟むと、すぐ隣りですので、ののしることもできず、
夫婦での会話が増え、
素直に、ありがとうが言えるようになったそうです。
また、ドアを開けたらすぐ隣なので、
必ず毎日、嫌でもお隣さんと会い、話をし、
他の被災者との共有体験をとおして、
「きずな」ができていったそうです。
他の被災者が、缶ビールを添えて、
疲れた時に飲んでくださいと、持ってきてくれましたが、
飲めなかったそうです。
普通は、これがない、あーして、こうしてくれ、
と言ってくるはずなのに、村の人は、逆にねぎらってくれました。
辛い時に、希望を与えてくれる村長でいてほしいと
言われたそうです。
いただいたが、そのとき飲めなかった缶ビールは、
今でも、家に飾ってあるとのことでした。
元山古志村村長 長島忠美さん
貴重なお話を、ありがとうございました。
人として、
心に熱いものを感じさせていただきました。