『芥川・太宰に学ぶ 心をつかむ文章講座』
出口汪
芥川賞を受賞した又吉直樹さんの作品『火花』は、火花の意味は違うかもしれませんが、芥川龍之介の『或阿呆の一生』にも出てきます。又吉直樹さんは、少なくとも影響を受けているのではと思われます。
誰もが知っている芥川龍之介と太宰治について知ることは損ではないですよね。それを出口汪さんの解説で二人の違いを対比しながら知ることができます。
出口汪(でぐちひろし)さんの経歴
- 大預言者の出口王仁三郎氏が曽祖父
- ヒューマンアカデミー講師
- 関西学院大学文学研究科博士課程終了
- 代々木ゼミナールに転職
- すべての大教室を満杯にするなど、伝説的な人気講師
- 総合予備校S.P.Sを設立
- 無試験で入れた受験生のほとんどを東大京大早慶上智に合格させる
- 東進ハイスクールに転職
- 「システム現代文」シリーズなど、ベストセラーを刊行
- 私立だけでも200以上の高校が正式採用した「論理エンジン」を開発
出口汪さんの経歴からもわかるように、文章においては一目置かれる人のようですね。
出口汪さん著書の『芥川・太宰に学ぶ 心をつかむ文章講座』の本は、タイトルどおり、芥川龍之介と太宰治という2大巨匠から文章を学ぼうというものですが、具体的な手法や解説はほとんどありませんでした。
しかし、ポイントとなる文章を抜粋し、光ってる文章はここなんだよ!とポイントを教えてくれています。
私は、芥川龍之介と太宰治に関しては名前を知っているぐらいであまり知らないのですが、どんな人物なのか、どんな文章を書いていたのかよくわかりました。
二人とも若うちに自殺しており、取り上げてある文章を読むと、とっても暗い気持ちになります。
私は、「蜘蛛の糸」「鼻」「走れメロス」などは好きなのですが、私個人としては、これ以上二人の作品を読みたいという気持ちはなくなってしまいました。というのが正直な感想です。
大預言者の出口王仁三郎氏が曽祖父ということで、ちょっと気になり調べてみました。
B29爆撃機空襲、関東大震災、日本の敗戦、リニアモーターカー、アップルウォッチの出現などを予言し、貨幣はひとつのしくみに統一されるともいっていたそうです。
ご興味があれば本(出口王仁三郎氏の書籍)もたくさんあるようです。
それでは、本題の『芥川・太宰に学ぶ 心をつかむ文章講座』で、気になったところをご紹介します。
芥川龍之介と太宰治の表現方法は対照的とのことです。
「芥川龍之介」
- 理知的で精緻な文章
- 論理的な手法を駆使
- ほとんどが三人称
「精緻」とは、非常に細かい点にまで注意が行き届いて、整っていることです。
芥川龍之介は、ただ見たままを描くのではなく、描きたい情景をいったん整理し、どのような構図で説明すれば読者の脳裏に鮮明に刻み込まれるのか、まるで風景画をデッサンするように計算づくの上で論理的な構図でもって情景描写をしています。
そうした絵画的手法のために、主人公が今どんな場所にいるのかを鮮明に読み取ることができるのです。 しかも、視覚的な表現だけでなく、苔や落ち葉の匂い、管弦楽の音など、嗅覚や聴覚にも刺激を与える描写を加えています。
「太宰治」
- 情感のこもった自由奔放な文章
- 感性的な手法を駆使
- ほとんどが「私」という一人称
太宰治は、書物よりも経験から文章を書きました。「小説家には、聖書と森鷗外全集があればじゅうぶんだ」と言い切ったくらいです。 「私」が読者であるあなたに直接語りかけるような告白体で書かれています。まさに太宰治は人生そのものから言葉を紡ぎ出していったのです。
「心をつかむ二つの技巧」
芥川龍之介でも太宰治でも、名文家の文章には二つの技巧的要素が共通してある。
- 気の利いたエピソード
- 気の利いたフレーズ
気の利いたエピソードとは、私たちが関心を持ったり、思わず「分かる分かる」と心の中で手を打ったりする文章です。
気の利いたフレーズとは、多くの言葉を費やして説明する文章ではなく、印象に残る一文です。
小説は短編でも、あるまとまった文章の長さがあるのですが、その中でたった一文でもいいから、ドキっとする表現があるものが名作として長く世に残るのです。 何千語かの言葉は、そのたった一文を輝かせるためにあるのです。
多くの言葉を費やして説明する文章ではなく、最後に印象に残る一文で締めくくる文章こそが、読者に余韻を与え、非常に有効な表現となっています。
例えば、芥川龍之介の『或阿呆の一生』では、
彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかった。が、この紫色の火花だけは、凄まじい空中の火花だけは命と取り換えてもつかまえたかった。
心をつかむ文章を書けるようになるには、まずは天才たちの文章を模倣することから始めましょう。 すると、今まで自分の中になかったものの見方や表現方法がしだいに身につき、それによって感性が磨かれ、豊富な表現が自然と溢れ出すようになってくるのです。と出口注さんはおっしゃっています。
最後に、出口注さんと齋藤孝さんとの対談があるのですが、そのなかで印象的だったのは、
ただ、太宰や芥川というのは本当の天才であって、我々一般人とは違うと思います。 ああいう生き方は我々にはできない。
全くそのとおりだと思います。ただし、私は、ああいう生き方ができないのではなく、ああいう生き方はしたくないです。
死を常に考えていたからこそ、究極の文章が書けたのではないでしょうか。
『芥川・太宰に学ぶ 心をつかむ文章講座』
出口汪